ロシア・サンクトペテルブルグ行く?

都市の名は「聖ペテロの街」を意味します。これは建都を命じたピョートル大帝(ラテン語
でペテロ)が自分と同名の聖人ペテロの名にちなんで付けたもの。隣国フィンランドでは
サンクトペテルブルクを、ペテロのフィンランド語名そのままにピエタリ(Pietari)の名で呼
んでいます。
ピョートル大帝によって1703年5月27日(グレゴリオ暦。当時のロシアで使われていたユリ
ウス暦では5月13日)に築かれた人工都市で、モスクワとサンクトペテルブルクは母性と父
性として対比されることもあります。その背景としては、モスクワが「大地信仰」を根底とす
るロシア(「母なる大地、母なるロシア」という表現が用いられる)を象徴する土着の都であっ
たのに対し、ペテルブルクは西欧に倣って「人工的」に建設された西欧的・キリスト教的な
父性支配を象徴する都と考えられる、ということがあるのです。

ロシア革命では二月革命・十月革命の2つの革命の中心地となり、武装蜂起によるボリ
シェヴィキの政権奪取やレーニンによる憲法制定会議の解散が起こりました。その後、
ソヴィエト政権は首都をモスクワに移転し、1922年に正式に定められたことで、レニング
ラードと改称されたこの町は政治の中心地から外れました。
サンクトペテルブルクは、ピョートル大帝による建都以来、ロシア最大の文化都市として
発展してきました。
そのため、特に帝政時代にはこの都市を舞台に多くの文化人が活動し、詩や小説など
の題材としても扱われてきました。『罪と罰』を物したフョードル・ドストエフスキーなどが
その代表です。










